Hiroko Blog

北国在住/25歳女子の奮闘記です

映画を観た①「勝手ふるえてろ」

こんばんは。

年が明けてから15日も経ってしまいましたが、年末に大阪に帰ったときに観に行った映画のお話を・・。

 

観た映画は、「勝手にふるえてろ」(大九明子監督)、シネ・リーブル梅田にて!

 

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予告編をYouTubeで観て、観に行きたいなァと思いつつ、今住んでる北国ではどうせ上映しねーし…とやや諦めていたところ、お昼ご飯を食べてたら友達から「今日行こう!」とお誘いをもらいました。

 

その友達から「ひろこみたいな映画やから」と言われる理由は、あらすじを読んだらわかってくれると思う(わたしの友達には)。

 

私には彼氏が2人いる──突然告白してきた暑苦しい同期のニと中学時代からの片思いの相手イチ。 「人生初告られた!」とテンションがあがるも、イマイチ、ニとの関係に乗り切れないヨシカ。一方で、「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこうと思ったんです」という奇妙な動機から、中学時代からひきずっていた片思いの相手・イチに会ってみようと、ありえない嘘をついて同窓会を計画。ついに再会の日が訪れるのだが・・・。 “脳内の片思い”と“リアルな恋愛”。同時進行で進むふたつの恋の行方は?

 

まああらすじだけ読んだら主人公が「ただのやばいやつ」なんですけど、いや映画の中でもただのかなりやばいやつなんですけど、あらすじだけ読んだら「ただの若者の色恋話」なんですけど、いや話も恋の話なんですけど・・ちがうのー。

 

小・中学生って『りぼん』とか『別マ』とかいわゆる少女漫画に憧れて、流行りの恋愛について歌ってる歌聞いて、キュンキュンしたり、漫画に出てくる男の子タイプ!!てドキドキして、で、実際にすきな人ができて、運よく付き合えて、デートってなに?なにすんの?ってところから、ちゃんと順番に進んで順調にハッピーで、で、順調に別れて。

 

でも、何人が付き合って大学生くらいで、あれ?なんか漫画みたいな恋愛って絶対できんくない?男の人って自分が想像してたよりももっと何も考えてないし卑怯やし誠意ないし欲まみれやしって気づいて(普通はたぶんもっと早い。わたしが気がつくのが遅すぎて。それは男兄弟がいなかったのが関係してる(って絶対思う))。

 

けどけど、中学生のとき初めて付き合った人が自分の中でMAXやから、ずーっと時が止まってるというか、会わない・話さない時間が長すぎて自分の中で勝手にその人をどんどんどんどん作り上げて、で、その人が大人になって会ったときに“中学生のときのその人”=“大人になったその人”が同一人物っていうことを自分の頭の中でうまく結びつけられなくて、“中学生のときのその人”=“大人になったその人”が別人すぎて、、、それが受け入れられなくて、もう人生どうでもよくなって号泣する女の子のはなし。

 

(※この映画の主人公はリアルな人生では誰とも付き合ってないってなってる)

 

映画の感想としては主人公の松岡茉優さんが最高という。もっかい映画館で知らん人らとふふふって笑って観たいし、家で一人でうわーんって笑い泣きながら観たい。いつかネトフリで配信せんかな。

 

が、観終わったあとに25年生きてきて、わかってたけどわかりたくなかったことに確信を持ってしまいかなり切ない気持ちになりました。

 

人間て、大きくわけると2パターンにわかれるということ。

 

この映画の主人公をみて「身に覚えがありすぎる〜〜!」って思う人と、「は。こじらせすぎ(笑)」で思う人。わたしは前者で、主人公わたしとすごく似ているなあと思うところがたくさんあって(映画のレビューを読んでたら、文系の完全なオタクではないがややオタク気質の女子はどうやら過去に同じような経験があり共感している模様)、だけど人間で2パターンに分かれてしまうんやなあと。人間を2パータンに分けるなんか無理やけど、大きく分けたら…の話。

 

思いを真っ直ぐにしか伝えられない人/思いを斜めの方向からしか受け取られない人

 

どれだけ時間が経っていても“思い出”と“今”と繋げてしまう人/思い出を時間の経過と共に“思い出”として心の中に保管できる人

 

とかとか。

いやいや感じ方や意見が違うのは当たり前やんってほんまにおっしゃるとおりなんですけど、

 

わたしはこの映画を観るまでどうも「同じ時間を長く共有した人は絶対自分と“同じ側の人間”や」って思っていたようで。友達とか家族とか彼氏とか好きな人とか間側は関係なく。25年も生きてたくせにね。そんなわけあるかよ。

 

頭の中で「この人はこっち側の人間やから」って何の根拠もないのに勝手に決めつけて、それで何かあったときに「違う側の人」って気づいたときにそれを認めるのがめちゃめちゃしんどい。とくに、この映画みたいにそれが“すきな人”である場合は、自分の頭の中で相手のことを考える時間が長すぎて勝手に相手の人格を形成してしまうようです。おそろしいね、、

 

星野源が「知りたいと思うのは全部ちがうと知ることだ」って歌っているように、そもそも自分は相手のこと知りたいと思ってなかったんかなとこの映画を観て思ったわけです。知りたいってほんまに思ったら、自分の頭の中で相手の人格を作り上げるようなこと、たぶんせんよなあ。

 

元日の夜、小学生のときからの友達に「良い加減に“相手はそういう人”って認めて、自分も客観的に見て“自分はこういう人”って認めてくれへん?じゃないと、いつまで経っても前に進めるへんやん」と(たぶん愛のある)説教をいただきました。知ることの次は、認めることだそうです。むずかしいけどできたらいいね。

 

主題歌「ベイビーユー」(黒猫チェルシー)を毎日聴いてるぞ

公式サイトで松岡茉優さんが主題歌へ寄せているコメントも素敵です。

 

www.youtube.com

おわり